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広島旅行記2010~広島平和記念資料館編②~ [旅行・出張の巻(日本①)]

現在、私は多分旅行中のはずなのですが、
本日8.9は広島に続いて長崎に原爆が投下された日。

長崎は、大学生の頃に一度訪れ、やはり手を合わせてきた場所ですが、
こうやって今回広島を訪れていろいろ考えることが多かったので、
いずれ長崎にも足を運んでみたいな、なんて思います。。。


展示の続きです。。。


 

原爆が投下された広島は一瞬にして廃墟と化し、
続いて長崎にも原爆が投下された後に戦争は終結しましたが、
多くの人が命を落とし、また、生き残った人達も家族を亡くし、
被爆者や原爆孤児、復員軍人、引揚者の方々は家を失いながらも
生活の再建に立ち向かわれました。

DSCF1955.JPG 2階から見下ろした原爆ドームの模型
DSCF1954.JPG 原爆で親を無くした原爆孤児が働く様子

戦後の日本自体が復興するのに大変だった、という話は
戦前生まれの両親から聞いたことがあるのですが、
原爆による被害が甚大だった広島や長崎の方々にとっては、
当時関東にいた私の両親さえ想像できないくらいのものだったんだろうな、と
展示されているパネルを一枚ずつ観ながら思いました。。



続く展示は「核の時代」。
DSCF1956.JPG 核兵器についての展示です
DSCF1957.JPGDSCF1958.JPG
大きな地球儀に核保有国が分かるように核弾頭のミニチュアが差してあります。

DSCF1959.JPG
保有国が増えているのが非常に残念です。


DSCF1960.JPG今年の式典はニュースで観ましたが
国連のパンギムン事務総長やアメリカ大使も出席されたことで
いつも以上に大きく報じられていたのが印象的でした。
国連の核軍縮、核不拡散という姿勢が改めて示されたので
これを機に国連主導で積極的に進めて欲しいものです。。


DSCF1961.JPG マザー・テレサも訪れたんですね
DSCF1962.JPG 現在は平和記念公園内に移植されているようです
爆心側の幹が半分が焼けてしまったものの、被爆の翌春には芽吹き、
人々に生きる勇気を与えた、、、と書いてありました。

ここで東館の展示が終了したので、
DSCF1963.JPG渡り廊下から公園を見て本館へ移動

本館では、8/6、広島に原爆投下された当日からその後について展示されています。

DSCF1964.JPG

原子爆弾が爆発した瞬間、
空中に発生した火球は0.3秒で直径200メートルを超える大きさまで広がり、
その表面温度は7000度に達したそうです。

DSCF1965.JPG 爆心地から2㌔離れた場所の
DSCF1966.JPG原爆投下から3時間後の様子ですが
2㌔離れてこの状態だったわけですから
爆心地に近ければ近いほどもっと悲惨な状況だったのでしょうね。

DSCF1967.JPG 当時の様子を再現したような通路を歩くと
DSCF1968.JPG 投下後の様子が展示されていました
DSCF1969.JPG 
この場面で音声ガイドの朗読をされていたのが吉永小百合さん。
広島・長崎の原爆詩の朗読を24年前から始められ、
この資料館でも平成14年にボランティアで音声ガイドの朗読に参加されたそうで
一言一言の言葉が重たく心に残りました。。

DSCF1970.JPG DSCF1971.JPG

DSCF1972.JPG
DSCF1973.JPG 建物疎開中に被爆されたとありますが
軍事施設、軍需工場、官公署を空襲から守るため、
民家を取り壊し市民を強制退去させるのが建物疎開、と今回知りました。
この建物疎開に駆り出されたのがこのような学生・生徒・市民などで、
屋外で作業していたために原爆の被害者が増えた、とありました。


DSCF1974.JPG 実物大だそうです

DSCF1976.JPG DSCF1977.JPG
このお弁当箱は高校の修学旅行で見た記憶があります。
お母さんが作ったお弁当を食べられぬまま、そのお弁当箱を抱きながら亡くなった、
という説明(音声ガイドも聞きました)に、自分がいかに平和な時代に生まれて
成長することができたのか、なんてことを考えました。

DSCF1981.JPGDSCF1980.JPG
遺体が確認されず遺品だけ見つかったとありますが、
この女性もやはり建物疎開作業中に被爆されました。

DSCF1983.JPGDSCF1982.JPG
亡くなった子供が寂しくないようにと子供と一緒に三輪車を自宅の庭に埋め、
40年後に掘り出してお墓に納めた、と書いてあります。


DSCF1984.JPGDSCF1987.JPG
DSCF1985.JPG
DSCF1986.JPG3人の中学生の遺品です

これは修学旅行で観た記憶にあるのですが、
当時は「三位一体」の遺品とか言われていたような気がします。。。

 

吉永小百合さんの音声ガイドを聞いていたら一つ一つ丁寧に観ないと、、、
という気持ちになってこのコーナーに入ってからはかなり時間がかかりました。

 

で、まだ写真がちょこちょことありますので③に続きます。。。。

 

(つづく)






タグ:広島
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コメント 8

krause

詳細な説明ありがとうございます。資料館へ行かなくとも、いろいろ見ることができました^^。
by krause (2010-08-10 06:23) 

うつぼ

krauseさん、こんにちは。
この後もちょっと続きます。(本日アップ分)
よろしかったら読んでくださいませ。(^^)
by うつぼ (2010-08-10 09:42) 

うたに

こんな小さな爆弾1つが、これほど悲惨な状況を作るなんて…
言葉を失いました。
それでも核兵器を持とうとする国が後を絶たないとは、恐ろしいことです。
by うたに (2010-08-10 14:36) 

lovin

怖い、、です。
見るとほんとにいろいろ想像します。
私もまた見学に行かなきゃいけないなあ。
長崎はまったく行った事ないので、姐さんの記事きっかけに、
いつか行かないとな。。
by lovin (2010-08-10 23:07) 

うつぼ

うたにさん、おはようございます。
爆弾にリトルボーイとか名前をつけてるあたりでふざけていると思ったの
ですが(長崎に落とした爆弾はファットボーイですし)、そんな名前をつけた
爆弾が多くの人を殺したことを事実として認識すれば、核保有しようなんて
国は増えないと思うのですが、残念ですね。
by うつぼ (2010-08-11 09:08) 

うつぼ

lovin姐さん、おはようございます。(まだ北京?)
長崎も訪れたのが20年以上前なのでまた行ってみようと思います。
こういうところは一度ではなくて何度でも足を運ぶべきなのかもしれない
と思いました。。。
by うつぼ (2010-08-11 09:09) 

へろーめ

原爆投下後には放射能の影響で
「10年は草木も生えない。」と言われたのですが
翌春にはちゃんと芽吹きました。
生命は強いものだと勇気付けられたようです。
by へろーめ (2010-08-18 16:00) 

うつぼ

へろーめ兄さん、こんばんは。
10年は草木も生えない、、、説明にも書いてありました。
アオギリ、公園に移されていたことを後で知りました。
ちゃんと見ればよかった。。これも次回の宿題とします。。

by うつぼ (2010-08-20 21:07) 

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